
前回の第1章では、
「話そうと思えば誰とでも話せる時代」だからこそ、
あえて“話さない暮らし”を選ぶ人が増えている理由をお伝えしました。
今回はさらに一歩進んで、
話さない日々が心にもたらす安らぎや心地よさについて、
じっくりお話ししていきます。
誰かと話すことが当たり前だった毎日
でも、ふとした瞬間に「誰とも話さない一日」が訪れると、心がスッと落ち着く感覚を覚えたことはありませんか?
特に「本当に1人で一日いる状態」の時です。
会社や家で、故意に話さないようにするのはNGです。人間関係の煩わしさを余計にごちゃごちゃさせてしまいます。
話したくなくても、「たまにコミュニケーション取らないと・・・」これではその事が気になってストレスを抱えてしまします
話すことには、少なからず“気遣い”がついて回ります。
内容を考えたり、相手の反応を気にしたり、声のトーンに気をつけたり。
それらをしなくてもよい一日は、まるで心が深呼吸しているような心地よさがあります。
そういえば、買い物でも、セルフレジなので誰とも話さなかったなぁ・・とか、カフェに行ったが、注文する時と「ありがとうございました」くらいの会話しかしなかった
そんな1日を振り返ると、いつもより疲れていない自分に気づくことがあります。
誰とも深く関わらなかったのに、どこか満たされている。
むしろ、「今日は心が静かでいい感じだったな」と思えるのです。

「話さないこと=孤独」とは限らない。
むしろ、話さないからこそ得られる“静かな安心感”があるのです。
たとえば朝、静かな部屋でゆっくりとお茶を飲む。
聞こえるのは鳥の声や風の音だけ。
そんな時間が、何より贅沢に感じられるようになります。
誰かに「なんとなく話しかけてコミュニケーション取らないと」もう50過ぎたらこれ必要ですかね?
会話がないからこそ、思考が整理され、気持ちに余白が生まれる。
たまに人と話すことで、より必要なことを伝えられる
不必要な事を話さない方が、関係が良くなることが多いと私は思います
そして何より、自分の感情や体調に素直に向き合えるようになるのです。
話さない日々は、「自分に戻る時間」。
他人の意見や期待に影響されず、静かに、自分自身とつながれる時間です。
60代以降の暮らしでは、こうした“何もしない、誰とも話さない”時間が、むしろ心の健康を守ってくれるのかもしれません。
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